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「臨床瞑想法」の
「4つのメソッド」を
概説します。

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01

「ゆるめる瞑想」

「ゆるめる瞑想」は、心身の緩和と集中を目的としています。緩和するためには意図的(恣意的)に呼吸と身体のリズムを調和させることです。

たとえば、忙しいあなたが、一日の仕事が終わって、お風呂に入るとどんな気持ちになりますか?ゆったりとした気分になれますよね。このまったりした気持ちを瞑想で味わうのが、「ゆるめる瞑想」なのです。

普段は無意識に行っている呼吸に意識することです。意識する呼吸とは、息を吐くことを意識的に長く行うことで、副交感神経を優位に導き、脳波をアルファ波状態にすることよって、セロトニン神経の働きでエンドフィンなどの脳内神経伝達物質を促すのです。たとえ緊張状態で交感神経が優位になり、ベータ波の状態であっても、そこから深い呼吸と意図的な呼吸をコントロールすることによって、脳波や自律神経に働きかけて、緊張から心身の弛緩状態を醸し出すことができるというのがゆるめる瞑想なのです。

緩和された意識は次第に集中した意識状態を醸し出し、次の「みつめる瞑想」に移行します。集中意識は呼吸の動きに注視することで達成されていきます。

01-ゆるめる瞑想
02-みつめる瞑想
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02

「みつめる瞑想」

「みつめる瞑想」は、観察することと洞察することです。十分な緩和によって得られた集中的な意識状態は、自己や他者を客観的に観察することのできる冷静な心の状態になります。そのままの自分をみることが観察です。観察とは文字どおり、自我意識にとらわれないで対象をどこまでも客観的に見続けることです。

それは注意に基づく瞑想であり、ものごとを客観的に、第三者的に観察し続けることです。最近は「マインドフルネス瞑想」というフレーズで有名ですが、もともとマインドフルネス(Mindfulness)とは、初期仏教のパーリ語の(Sati=念・正念)に由来するものとして、英訳されたものが日本にもたらされました。

一般には(Sati)は「気づき」などと解釈され、マインドフルネスでは「注意・観察」の意味になります。仏教では偏りを離れた中道の心で、ありのままに対象を観るという瞑想のことをいいます。そこでは、観察する主観的な自己と、観察される客観的な自己を見分けてみることも可能です。

さらにそれが進むと洞察になります。洞察は分析と似ていますが、分析はどちらかというと、物事を細分化する二元論的な要素がありますが、洞察は常に全体を眺めつつ、その本質を深くほりさげる感覚です。例えば、ここにリンゴの実があります。まずそのリンゴを色や形を概観的に観察します。しかし中味がどうなっているかは、外からはわかりません。そこでもっと鼻を近づけて匂いを嗅いだり、一口かじってみて、味や硬さなどを知ります。この中味を知ったときが洞察です。

これを自己の生育歴を洞察するときに応用すると、家族の関係性の全体像をみながら、そこで個人が対人とどのような関係であったか、であったときの思いを巡らし、どのような行動につながったかなどを、具体的に注意を凝らして深く見ていくような見方が洞察瞑想なのです。

伝統仏教では四諦(苦・集・滅・道)と八正道(八聖道)(正しく見る、正しく思う、正しく語る、正しく命を運ぶ、正しく生業をする、正しく精進する、正しく念ずる、正しく定に入る)の洞察瞑想が、その究極の実践法として継承されてきました。

八正道は「正見:ものごとを正しく見て理解すること、正思:正しい意図または目的

正語:虚偽を避け真実性を正しく語ること、正業 :倫理に則った正しい行為、正命:正しく精神的な成長を目的とした生計、正精進 :正しい努力によってポジティブな資質を培いネガティブな性質を克服する、正念:正しく記憶、自分の思考、感情、行動に気づき思念すること、正定 :正しく集中力のある精神状態を向上すること」です。

03-たかめる瞑想
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03

「たかめる瞑想」

「たかめる瞑想」は、心身の機能をアップさせようとする意識的なものです。この瞑想は人間の五官六根や五体の感覚や働を意識しつつ、その機能性をより向上させていこうとする瞑想法です。

 たかめる瞑想は身体的側面と心理的側面の両面からアプローチしていきます。身体的には健康生成論に基づく健康増進や予防医学基づく瞑想法です。

心理的には、1950年代以降に始まった人間性心理学に加えて、トランスパーソナル心理学の応用や、仏教、密教の修行法に多くのヒントや実践法があります。人のスピリチュアリティの向上に関連するのが「たかめる瞑想」の目標となります。

特にヨーガや仏教(密教)では、人間の五体(下腹部、胃腸、心臓・肺、首・顔、頭頂)と宇宙のチャクラ(人体内のエネルギースポット)や五大要素、すなわち地水火風空の元素を同格とみて、それぞれのもつ機能を呼吸、身体運動、意識変容などで、現在よりもたかめていくことを目指します。それによって、生理学的にはホリステック(全体的)に内分泌系、自律神経系、免疫系に働きかけて、それぞれの不調和な状態からバランスをとりつつ、部位によってはその機能向上をはかるものです。

たとえば、家の中でくすぶっているよりは、カラオケに行って、自分の大好きな歌を思いっきり歌った方が、気分が上がるときもあります。実際に声を出して歌うということで精神的な達成感と身体に振動をあたえるという心身反応は、ドパミン神経に働きかけて脳内でドパミンを分泌するからです。快物質が活性化することで気分の向上や肺活量などの機能が向上します。たかめる瞑想では、短いお経や真言(マントラ)を繰り返して、一旦意欲は高揚しますが、深い呼吸法でセロトニンが促され、落ち着きを取り戻し、その後に深い瞑想に入ることが可能となります。

また他者に対する「思いやり(慈悲)の瞑想」も、「たかめる瞑想」になります。

04-ゆだねる瞑想

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「ゆだねる瞑想」

「ゆだねる瞑想」は「たかめる瞑想」に連動して起きるものですから、その違いを明確に分けることは難しいものです。なぜなら、たかめる過程で、ゆだねる意識状態が出現することがあるからです。あえていえば「たかめる瞑想」は身体レベルの機能高上を目指しつつ、精神的な領域も次元上昇が出現し、連続して「ゆだねる」という感覚が心に生じて、おおらかに意識の状態に移行することです。これをトランスパーソナル心理学では変成意識といいます。これらの瞑想によって高次のスピリチュアリティが出現することを意味します。

千光寺で臨床瞑想法を修練した女性は、このゆだねる瞑想で「自分の意識が拡大して宇宙に浮かんでいるような幸せな気分」を長時間にわたって味わったと言っていました。したがって、「ゆだねる瞑想」は自我意識を超克して、大いなる意識(サムシンググレイトなど)に融合、あるいは統合する意識状態といえます。  

宗教的な文脈では、神仏や天の領域につながることであり、仏教的には覚醒や悟りの状態に関連することを意味します。臨床瞑想法を習得することによって、誰もがこの境地を獲得できるということではなく、そういう目標がこの瞑想法の中にあるということです。

ちょっと難しい表現かもしれませんが、これが瞑想の奥義ともいえる深い世界です。ぜひあなたも瞑想であなた自身のこころの世界を探検してみましょう。

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